イタリア生活文化交流協会について
イタリア生活文化交流協会は、2004年10月に大阪府豊中市の阪急電車蛍池駅前で発足しました。日本とイタリアとの生活文化の交流を通じて、「自由・自立・自尊」の個人の確立と「共尊・共助・共働」の社会の実現をお互いに目指しています。現在は任意団体ですが、近い将来NPO法人に発展するよう計画中です。
【発足までの経緯】
当協会の松本城洲夫(しずお)会長が1991年12月にイタリアを巡る旅の途中、ミラノで2人の音楽家の兄弟、当時21歳のヴィニーチョ・アレグリーニと19歳のアレッシオ・アレグリーニに出会い、交流のきっかけが生まれました。その後、彼らの実家があるラッツォ州リエティ県の町ポッジョ・ミルテートを毎年訪れるようになり、家族との交流も深まりました。特に父親のディエゴ・アレグリーニさんとの親交を通じて、お互いの文化と歴史について学び合うようになりました。ディエゴさんは、若い頃に旧石器時代人の遺跡を発見した優れた歴史家であり、また哲学者でもあります。 2人の兄弟は、音楽家になるために共に研鑽を積み、兄のヴィニーチョ・アレグリーニは、現在カリアリ歌劇場オーケストラ首席トランペット奏者、弟のアレッシオ・アレグリーニは、ミラノ・スカラ座のホルン・ソリストを経て、現在ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団首席ホルン奏者になりました。2人は度々コンサートで日本を訪れるようになり、日本の文化や歴史に強い関心を抱くようになりました。また、松本会長に帯同してイタリアを訪れた、数人の日本の若い音楽家と彼らとの出会いから、「友情のサビーナ・オーケストラ」を含む多角的な生活文化交流のきっかけが生まれました。
【サビーナとの生活文化交流がスタート】
アレグリーニさんの住む地域は古い地名でサビーニと呼ばれています。 有史以前から人が住んでいた古い歴史があり、エトルリア文明の遺跡、古代ローマ文明の遺跡が数多く残っています。また、古代ローマ時代から続くオリーブオイルの名産地でもあります。最初の出会いから10年が経過した後、多角的な生活文化交流を進めるため、2004年10月に「イタリア生活文化交流協会」が発足しました。
【アレグリーニ・ファミリー】
若い2人の優れた音楽家が生まれた背景には、ヒューマニズムに溢れた家族の歴史と文化があります。ディエゴさんは10人兄弟の長男で、若くして亡くなった父親の代わりに家族の生活を支えるために大変苦労した人です。ディエゴさんの父親(2人の兄弟の祖父)は、第2次世界大戦末期にこの地域に進駐してきたナチス・ドイツの軍隊と戦ったパルチザンのリーダーでした。ポッジョ・ミルテートをはじめ、近隣の町には自由を求めて戦ったパルチザンの人々の遺跡がたくさん残っています。このような地域の歴史の中で、強い社会的正義感をもった2人の音楽家が育っていきました。